荻田氏三代の墓
おぎたしさんだいのはか
御館の乱 景勝側勝利の立役者-荻田主馬-
荻田氏は糸魚川城主や高田藩家老を務め、戦国時代末期から江戸時代初期まで、当地域の政治の中枢を担った家柄です。
能生谷 小見の龍光寺にある3基の五輪塔は、中央に龍光寺開基といわれる2代目の主馬(孫十郎長繁)、左に3代目の孫十郎、右に4代目の隼人のもので戒名と没年月日が彫られています。
荻田主馬と天地人
上杉謙信亡き後の上杉景勝と景虎との後継争い「御館の乱(おたてのらん)」で、荻田家2代当主の荻田主馬は景勝方として目覚ましい活躍をしました。当初優勢であった景虎方の有力武将、北条景広(きたじょう・かげひろ)に死にいたる深手を負わせ、景勝方の勝利を決定付けました。
この功績により主馬は、景勝からも功第一と賞賛され、糸魚川城主に任じられ、1万石を領しました。
龍光寺には寺宝として2代目主馬の肖像画や鞍、鐙が伝えられています。
糸魚川市大字小見
所在地 | 糸魚川市大字小見 |
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