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根知城

村上義清が堅固な守りを固めた名城  根知城は、越後と信濃の国境に位置する堅固な山城で、根小屋地区の城山(525m)中腹の根小屋城を中心として、上城山城、栗山城からなる一大城郭です。
三城の中で中心的な役割を果たしていた根小屋城は、城山の標高320mに位置する戦国時代の典型的な尾根城です。当地方でも最大の規模を誇る根知城は、信濃の国に対する越後側の最前線基地として重要な役割を担いました。
城から眺めると、西に姫川、東から北に根知川が流れており、天然の堀をなしています。根知城はこの恵まれた自然条件を最大限に活用して築かれており、戦国時代の山城および館城の特徴をよく留めています。

根知城の歴史

根知城の築城年代は明らかではありませんが、文献などからは上杉謙信以前の時代まで遡ることができます。城主は禰智(ねち)氏・村上氏・堀氏などが歴任したとされ、上杉景勝の時期には同盟関係にあった武田勝頼の弟、仁科盛信が根知城勤番を勤めました。景勝の会津移封後、根知城に入った堀清重は、慶長4(1599)年の上杉遺民一揆の際に根知城を廃し、糸魚川市一の宮に清崎城を築いたといわれています。

根知城と村上義清

現在見られる要害堅固な根知城の遺構は、村上義清が城主の時代に整えられたといわれています。義清は信濃の葛尾城主でしたが、甲斐の武田信玄に破れ、天文22(1553)年上杉謙信に援助を求めて来ました。永禄8(1565)年、謙信は義清を根知城主に任命し、根知城の守りを固めました。
なお、義清は、ついに信濃の地に戻ることはなく、根知城で亡くなりました。伝説では、根小屋の安福寺に義清の墓があるといわれています。

根知城遺構

根知城

本丸跡と殿屋敷と称する郭跡を中心に、郭跡17、削平地201、掘切16、堅堀15というように大規模な城郭跡を残しており、新潟県の史跡に指定されています。

糸魚川市大字根小屋

所在地

糸魚川市大字根小屋

アクセス
  • 車の場合
    北陸自動車道糸魚川IC下車、国道148号を左折、小谷方面へ約10分
    信号「根知谷入口」を左折し約3分
    根小屋バス停手前、登山道入口あり
    登山道(急な登りもあります。歩きやすい服装でお越しください)
    登り:約40分(休憩含む)
    下り:約30分
  • 電車の場合
    JR根知駅下車、徒歩5分登山道入口

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